熊野別邸 中の島についての画像

熊野別邸 
中の島について

紺碧の海に囲まれた、
碧き島の宿 熊野別邸 中の島。

CONCEPTコンセプト

熊野那智大社・青岸渡寺・
熊野古道の麓にある、紀の松島に位置する島の旅館。

紀伊半島を舞台とした悠久の歴史、聖地熊野の心と心で、つながるストーリーをお届けいたします。

POINT熊野別邸 中の島 5つの魅力

海青し、山青し、
旅情満喫、島の温泉

紺碧の海と輝く太陽いっぱいの信仰と湯の地、南紀勝浦。
牧水の「熊の灘旅情」の歌碑が建つ見晴らし台からの遠望は、南国のおおらかさ。
潮騒の聞こえる露天風呂でお寛ぎいただいた後は、黒潮が育てた海の幸で一献・・・。
当館ならではのおもてなしを心ゆくまでご堪能ください。

  • POINT1

  • 中の島旅館発祥の地に、
    新館「凪の抄」誕生

    伝統、歴史、おもてなしの心。
    受け継がれた想いとともに、新しく動き出す特別な時間。
    まるで凪のように穏やかに、やさしく。
    日常から離れた、特別なひととき、
    「静寂という贅沢」をあなたの心まで。
    紺碧の海に囲まれた、碧き島の宿 熊野別邸 中の島。

    客室「凪の抄」

中の島旅館発祥の地に、新館「凪の抄」誕生

  • POINT2

  • 紺碧の海に囲まれた
    勝浦湾に浮かぶロケーション

    勝浦港から専用船でしか行けないプライベート空間。
    全国でも珍しい「紀の松島に浮かぶ天然温泉宿」。
    紺碧の海に囲まれたロケーションをお楽しみ下さい。

    中の島散策

  • POINT2

エメラルドグリーンに囲まれた勝浦湾に浮かぶロケーション

  • POINT3

  • 眼前に海が広がる露天風呂

    名湯「紀州潮聞之湯」。
    雄大な黒潮の流れと心地良い潮騒に癒され、
    日本の旅ならではの醍醐味を味わっていただけます。

    温泉

大パノラマの露天風呂

  • POINT4

  • 源泉掛け流しの天然温泉

    島内に6本の源泉を擁し、1日700トン、毎分486リットルの湧出量という豊富な湯量を誇る。
    ほのかに漂う硫黄臭は、温泉特有の醍醐味を味わえ、多種多様にわたる効能を持つ泉質を体感していただけます。

    温泉

  • POINT4

源泉かけ流しの天然温泉

  • POINT5

  • 海の幸を尽くした料理

    中の島をとりまく黒潮の海は、名にし負う海の幸の宝庫。
    地元の旬の素材をふんだんに使った、
    当館自慢の会席料理をご賞味ください。

    料理

海の幸を尽くした料理

STORY中の島ストーリー

中の島ストーリー

中ノ島について

面積…約68,000㎡ / 外周…約1.7km / 標高…38.2m

勝浦湾の入り口にある中ノ島は、熊野灘の名勝「紀の松島」の中の、二つの入り江と岩場に囲まれた小島です。
昭和11年に指定された吉野熊野国立公園の中で特別地域となっております。
勝浦湾は、三方を山で囲まれ、熊野灘の荒波から守られた古くからの天然の良港で、明治の末ごろまでは、風待ちの場所として中ノ島の入り江に帆船が何隻も繋がれていたということです。
明治の終わりごろから昭和の戦前にかけて、当時は鉄道も道路も完全には繋がっていなかったため、大阪からの観光客・湯治客は大阪から船に乗って勝浦に入港し、それから那智の滝・那智大社に詣でるというルートが最も便利な交通アクセスでした。
※当時、勝浦港は熊野三山への表玄関となっていました。

日の岬潮岬はすぎぬれどなほはるけしゃ志摩の波切は

若山牧水の勝浦来訪から50年後の昭和43年に中の島山頂の見晴らし台に歌碑が建てられました。

日の岬
潮岬は
すぎぬれど
なほはるけしや
志摩の波切は

大正7年6月に歌人若山牧水が和歌山から船で勝浦を訪ねた時に、湾の外の無数の島や大小の岩を縫いながら中の島の東側に突き出た気多の鼻(けたのはな)を回り込んで勝浦湾に入ったとき、その場所から見えた海からの那智の滝を感動的に紀行文として残しております。(気多の鼻には今は灯台があります)

昭和初期には大阪商船が大阪勝浦急行船を運航して那智丸・牟婁丸という船が当時の最新鋭の客船でありました。
昭和10年ごろの所要時間は勝浦発17時に出港した船が翌朝6時40分に大阪着とのことで、およそ半日強の船旅のようでした。

気多の鼻(けたのはな)

このように中の島東側は勝浦港への客船の航路となっており、また地元の漁船にとっても勝浦湾の出入りに重要な目印であったようです。

出雲神話で大国主命と白兎の出会う場所を気多の前(けたのさき)といいますが熊野那智大社の重要な御神体は那智の滝そのもの、すなわち大国主命であり那智の滝を望める中の島の気多の鼻は出雲神話と何か繋がっているのかもしれません。

気多の鼻(けたのはな)

中の島旅館について

中の島旅館について

中の島は勝浦湾の入り口にあるということで、明治の末ごろまでは帆船を相手に島の入り江(今の凪の抄のあたり)で船宿が営まれていたようです。 昭和10年頃、島の所有者が木造2階建て10数室の旅館を建て、温泉もボーリングをおこなって温泉旅館を始めました。 当時、島からは温泉は出ても真水が出なかったため、必要な水は町から船で島へ運んで営業したということです。

現在は町から水道管が島まで引かれておりますが、食材などの運搬に使う船を当時の名残で水船(みずぶね)と呼んでおります。その後戦争中は一時海軍に接収され旅館は閉鎖となりました。戦後営業を再開後もこの木造の建物は伊勢湾台風による被害などもありましたが昭和40年の始めころまで客室・宴会場として使われておりました。

中の島旅館について

私どもは、昭和33年に当時の島の所有者より買い受けて、昭和34年の紀勢線全線開通や昭和44年の国道42号線の拡幅・舗装完成による那智勝浦へのお客様の増加にあわせるように建物の規模を拡大してホテル中の島として約50年間営業しておりました。

昭和36年頃の写真。中の島旅館の木造二階の建物(現:凪の抄の前庭)と、旧ホテル中の島3号館が並んでおります。

昭和36年頃の写真

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